年頭のご挨拶
 
年頭のご挨拶

社団法人 愛知県建設業協会

会長 山田 文男
山田 文男
 皆さんあけましてお目出度うございます。私は愛知県建設業協会会長の山田文男でございます。まずもって今年一年が皆さん方にとって良い年になりますよう心からお祈り申し上げたいと思います。
 さて建設業界にとって昨年は真に試練の一年であったと思います。と同時に様々なことが見えてきた一年でもあったと思います。
 公共事業のダンピングがこれ程長期にわたって続いたことはかつて無く、ダンピングの無い公共事業を前提としていた建設業の経営は、正に惨憺たる有り様に陥りました。
 このダンピングが、昨年来の談合等に対する強力な取締りによってもたらされた「コンプライアンスの徹底」の結果であることは明らかです。つまり建設業がコンプライアンスを徹底すれば、公共事業はダンピングにしかならないということが、この一年の経験で分ってしまったのです。
 言うまでもなく我々建設業も日本という法治国家の住人であり、良き市民として法の支配を厳正に受け入れる義務を負っています。しかしそのことと、ダンピング無き公共事業がもし両立しないとするのならば、それは法か公共事業のどちらかが、間違っていることになります。
 私は法が間違っているとは思いません。日本が自由民主主義とグローバルな市場経済主義を国是とする国である限り、現代日本の憲法を頂点とする法は基本的に正しいものだと私は確信しています。
 それでは公共事業が間違っているのでしょうか。いやそうではなく、現在の公共事業を社会の中でどのように位置付けるべきかを決定する、最初の前提そのものに誤りがあるのだと思います。この間違った前提のもとで公共事業の様々な制度設計が為されている限り、公共事業はもはや社会の中で成立できないところにまで追いつめられてしまったのだと私は思います。
 公共事業に従事するすべての人々のアイデンティティーは、突きつめれば「世の為、人の為」ということです。これはグローバルな市場経済のアイデンティティーである「セルフインタレスト」、つまり「利己心の追及」とは全く異なるものです。言うまでもなくこのセルフインタレストに基く自由な競争こそが、グローバルな市場経済の推進力の本質となるものです。しかし同時に、このセルフインタレストではどうしても実現することのできない公共の利益が、まだまだ日本にたくさんあることも明らかです。公共事業もその内の一つと言えるでしょう。これらのことはすべての国民に理解できることだと思います。
 そうであるのならば、公共事業がセルフインタレストの支配すべき市場経済の中においても成立し得るという、今まで広く信じられてきた前提そのものが、根本的に間違っていることになります。もしそれが間違っているのならば、公共事業を、セルフインタレストでは実現できない利益の為に存在する、公的な領域に帰属すべきものとして、社会の中で新しく位置付けし直すことがどうしても必要となるでしょう。
 しかし一方でその位置付けが、セルフインタレストの領域である市場経済のあるべき公正なルールを、歪めてしまうようなものであってはならないのは当然のことです。つまり公的な領域に帰属しているという理由で、もし公共事業から市場競争を排除せざるを得ないとするならば、その公共事業に携わるものは結果的に無競争の特権を享受することになります。しかしその特権を享受するものが、同時にセルフインタレストの領域においても市場競争に参入できるとするならば、それは市場の平等という市場原理の最も重要なルールを公金を使って損なうことと同じで、大きな不公正となります。またそれは、突きつめれば政治にしかできない、公的な領域の効率性の管理を、尻抜けにしてしまうことでもあるでしょう。そのようなことを野放図に許していたのでは、社会における公的な領域の正当性も、セルフインタレストの領域の正当性も共に成り立ちません。
 しかし私は、そのような不公正を原則的に許さない、正義と道理にかなった新しい公共事業の制度が必ず有り得るし、長い目で見ればこのような制度だけが国民の支持を得ることになるだろうと確信しています。そうでなければ公共事業はこのままダンピングの継続によって社会から滅び去るか、不法な手段で生き残りを図るしかないからです。勿論、この不法な生き残りは当面のものであるにすぎず、数年後には再度社会から今回以上の厳しい指弾を受けることは確実でしょう。
 昨年一年間に我が業界に起った様々な事件――その中には、大変悲しい事件もあった訳ですが、それらを無駄にすることなく、これからの公共事業の正常で健全な発展の為に活かしていくことこそ、愛知県建設業協会の今後の最大の使命であると最後に宣言させて頂き、新年の御挨拶に代えたいと存じます。御静聴どうもありがとうございました。